さきほどの記事 コーヒーを薄めるのは邪道か? では、自宅でコーヒーを飲む際に、薄めることをどう解釈するかの問題を書いた。
しかし昨今人気のコーヒーチェーンを一律で「コーヒーのプロ」と呼ぶことを許してもらうならば、中部発で近年大いに人気を集め店舗を増やしている某コーヒー店は、そもそも濃縮した液体コーヒーを店舗に届け、適度な濃さに「戻して」出す方法を編み出して伸びたと聞いている。この件は検索しても出てくるし、今では他チェーンでも同様の流通形態を採っているところがあるようだし、結構知られている情報かもしれない。
日本の喫茶店に影響を受け、浅煎り、ハンドドリップの「おもてなし」を前面に押し出して日本に上陸したブルーボトルコーヒー。同社が巻き起こした「サードウェーブ」ブームのお店として報道されている中にも、「濃いコーヒーを薄めて出している」お店はある。カップで経験して、一定以上の品質がクリアされているし、まったく問題ないと思うが、お店の名前は一応伏せておきたい。
私はコーヒーというものの味を知った当初からドリップ派だが、サイフォンでも、ドリップで淹れたとしか思えないような技を持つ人もいる。新潟市古町の「香里鐘(カリヨン)」のマスターなどはそうだ。「ドリップですよね?」と聞いたときに「サイフォンです」という答えが返ってきて驚いた後もなお、なかなか信じられなかった。
サードウェーブというブーム自体は、コーヒーを楽しむ人の裾野を広げているであろうという意味で、好ましく思っている。だが、一杯一杯を大切につくり、お客さんに、コーヒーとともに居場所を提供する「喫茶店」を置き去りにして、このブームが通り過ぎて行ってしまうとしたら、寂しい。何人ものコーヒーマンたちの口から、「日本の喫茶店がまさにそれなのに、”サード”というのが納得いかないね」という言葉を聞いた。
コーヒーには、いろんなアプローチがあり、それゆえにいろんな論争がある。血みどろの喧嘩にならない程度の知的な喧嘩ならば、これもまたコーヒーによく合うと思う。その議論の場、コミュニケーションの場としても、喫茶店が見直されていってほしい。
0 件のコメント:
コメントを投稿